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山声人語 vol.3

▽北米の先住民族の神話には、ワタリガラスが主人公の物語があるという。アラスカの自然や文化に生涯を捧げた写真家・星野道夫さんの本で知った。大きなくくりで“エスキモー”と呼ばれる彼らの暮らしには、今も昔からの知恵や工夫が脈々と受け継がれているらしい。極北の厳しい環境の中でたくましく生きる彼ら。その生活の一端を知る時、ふと「なぜそんな厳しい環境で暮らし続けるのだろう?」と疑問が湧いてくる。もっと便利で快適な暮らしができる場所があるのに。 ▽この疑問と似たようなことを、山を登りながら思ったことが幾度もある。標高が2500mを超え、強く冷たい風が吹き続ける山肌に、ひっそりと、けれど力強く咲く高山植物を発見した時。その可憐な色や形に心奪われつつ、「なぜ?」がいつも浮かんでいた。もっと低くて暖かい場所があるのに、なぜこんな厳しいところで一所懸命咲いているのかと。 ▽エスキモーの話も、高山植物のエピソードも、強く印象に残っているのはきっと、自分とまるきり無関係ではないから、だと思う。僕はもともと身体を動かすのは好きだが、生まれつき体力がなくすぐにへばってしまう。季節の変わり目には決まって体調を崩すし、自分の身体の弱さに、情けなくてやりきれなくて、涙したことさえある。 ▽そんな劣等感が、逆に山登りを続けている原動力になっているかもしれない。最近になってつくづくそう思うようになった。身体が弱く、体力がないからこそ、山に登りたいという気持ちがこんこんと湧いてくる。環境は自分の思うように変えることができないからこそ、自分の方を環境に合わせて変えていきたい。そう思うと、エスキモーの人々や高山植物に言いようのない尊敬の念や愛おしさを感じてしまうのである。 ▽“置かれた場所で咲きなさい”という言葉が頭からこびりついたように離れない。本屋で見かけた本のタイトルだったが、まさに今の僕の気持ちに寄り添うような言葉だと思う。犬ぞりを走らせる人々の営みや、風雨に耐え開花の時を待つ蕾に思いを馳せながら、今日もまた、次の登山計画を練る。


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