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山声人語 vol.5

▽山に登っていて、ふと考えることがある。時代ごとに街の風景は変わっても、ここから見えるこの景色は、変わらず誰かが見てきたものなのかな、と。江戸時代も平安時代ももしかすると、文字も持たない時代から。そして、この山で見たであろう満開のシャクナゲや、夕陽に染まる秋の山肌、光を返す水晶や氷晶に、1000年前の誰かも変わらず感動していたのかもしれない。

▽山に登っていて、ふと感じることがある。大伴家持が詠んだあの歌は、こんな感動を伝えたかったのかな、と。そう感じたとき、悠久の時を越え偉人と同じ感覚になれた気がして、ちょっとだけ嬉しくなる。大伴家持は日々の小さく刹那的な感動を逃さず、瑞々しい言葉に表現した。自分にはそんな知性や感性は無いし、上手く言語化することもできないけれど、偶然出くわした感動を逃さず心に刻むこと=serendipityは、わりと得意だ。

▽山に登っていて、ふと思うことがある。上を目指して一歩一歩、ひたすらに歩みを重ねるこの"作業"は、人生に似ている、と。もちろんここで1番の目標は、登頂だ。自然の厳しさに揉まれながらも、その頂きに立てた時の充足感。これは何ものにも代えられない。でも、その道中見つけた可憐な花や、初めて聞く鳥の鳴き声、突如現れた雲海、紺碧の空のもと食べるおにぎりの味…そんな思いがけない感動に足を止める瞬間も、登山にはある。serendipityを掴むきっかけが、この作業には沢山転がっている。そして人生の幸福は、そんなserendipityの連続でつくられていくのかもしれない。

▽山に登って生まれる小さな感動が、今日の仕事やこの先の人生に、少しの深みと彩りを加えてくれる。寄り道を楽しみながら、1番の目標にも一歩ずつ近づいていけるように。もしも目標を見失ってしまっても、絶望から抜け出すことができるように。今日も少しだけ早起きをして、眉山ごしの朝日を背に職場へと向かう。


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