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山声人語 vol.8

▽社会人4年目の夏。山岳会に所属した。転勤族にとり、職場や地域を越えて楽しみを共有できる場があるのは素敵なことだ。貰った称号はメインカメラマン。初めて一眼レフを手にしたのは、大学の卒業旅行で行ったボリビア。見える全てが天空のようなウユニ塩湖をより綺麗に収めるべく、なけなしのバイト代をカメラ機材に注ぎ込んだ。 ▽その頃の写真の目的は、楽しい思い出を何度も反芻すること。撮った写真を見返せば、切り取られたその瞬間をきっかけに、周辺の記憶がぱっと鮮やかに蘇える。褪せてゆく記憶を心に刻んでおくのも大事だけれど、思い出をより鮮明に残しておきたくて、とにかく沢山シャッターを切った。写真は人と共有するよりも、ただ備忘録としてある感覚だった。 ▽写真のもう一つの力。それを知ったのは、カメラの得意な友人と旅をしたとき。同じ時に同じものを見たはずの友人のカメラには、それらの思い出が別物のように、魅力的に収められていた。同じ世界の捉え方が、自分とは全く違う。いくつ言葉を重ねても知りえなかった友人の内面が、数枚の写真からじんわり伝わってくる。そしてそれを感じた後からは、これまでと同じはずの風景が、僕にも違って見えてくるから面白い。 ▽観光地のような撮影スポットは少ない山。そんな所でわざわざ重くて邪魔なカメラを取り出すのは、そこで見た何かが特に、撮り手の琴線に触れたから。被写体そのものは単に真実の''記録''でも、意志を持って切り取られたその画には、撮り手の目線や人柄が強く滲んでいる。そんな写真を見ていると、知っているはずの山や撮り手の、新たな一面が見られたような気にもなる。 ▽写真は自己表現の手段になるのか。画には大抵、撮り手自身は写っていない。言葉と違い、大半はカメラと被写体任せだし、文章に比べ、ひと目で稚拙な所がバレてしまう。ともすれば、そこに自己を含もうとすること自体、嫌味に感じられることもある。写真は自己表現の手段としては、相応しくないのかもしれない。それでも、ファインダー越しに被写体の魅力や、捕り手の想いを上手く表現できたとき。それは備忘録を超えて、自分にしか撮れない1枚になるのだと思う。 ▽桜台山岳会。メンバーは、山が好きなのは同じだけれど、登山の目的や興味の方向は少しずつ違う。そしてそれは、言葉で全てを言い表せるものではなく、不変のものでもないだろう。あくまで主役は山登り。でも今は、メインカメラマンの立ち位置から、山とメンバー、そして自分の魅力も表現してみたい。偶然に貰ったこの良縁を、この先も永く大切にしていきたい。


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